成功者とは、何を持ってそう呼ぶのでしょうか。

年収や肩書き、社会的な地位。そういった「数字等で測れる何か」を手にした人を、私たちは成功者と認識することが

多いのかもしれません。

成功者は自分の目標になり得るのでしょうか。

私は成功者って自分が言うものではなく、他人から評価されるものだと感じます。

 

私は本当に目指すべきは「成功者」ではなく、「幸せ者」なのではないかと思うのです。

どこかで分岐点に立った時「私は幸せかもな」と静かに振り返ることができる人。

そんな人こそが、本当の意味で報われた人なのではないかと感じています。

では、「幸せだったな」と感じられる道のりとは、どのようなものでしょうか。

それは、きっと周りの人から「いい奴」だと思われた日々から生まれるものではないかと思うのです。

私たちエターナルブリッジでは、「いい奴」という言葉をこう定義しています。


素直で、諦めない夢想家

世界を変えてきたのは、いつだって「まっすぐで、あきらめない夢想家」だったと、私たちは考えています。

たとえば、誰かが笑ったアイデアを信じ続けた人。

誰もやらなかったことに、最初の一歩を踏み出した人。

「そんなの無理だ。できっこない」と言われても、「でも、やってみたい」と言えた人。

そういう人たちが、ほんの少しずつ、確かに世界を動かしてきました。

だけど夢想家って、決して完璧な人ではないのだと思います。

むしろ不器用で、素直すぎて、ちょっと頑固で、そして、実は「めんどくさがり屋」なのかもしれません。

効率の悪さを嫌って、もっと良いやり方を探したり、誰かの「当たり前」に、なんだか納得できずに涙を流したり。

そういう心の小さな違和感を、ちゃんと見逃さなかった人。

そんな人たちが、少しずつ確かに未来を変えてきたのです。


そしてそれはこのような行動として現れます。

わからないことを、わからないと認められること。

失敗しても立ち上がる力があること。

人の優しさに、まっすぐに「ありがとう」と言えること。

夢を持ち続けることを、恥ずかしがらずにいられること。

できる自信はないけど、やってみようとする行動力があること。

自分でできなければ素直に認め、周りに助けを求めることができること。

期待されると、もう一歩だけ頑張ってみようと思えること。

誰かの力になれたとき、心から嬉しく思えること。

そんな人は周りの人から応援される。「選ばれる人」になっていく


もちろん、逆の循環もあるのかもしれません。

周囲に恵まれていたからこそ、人に優しくなれた。

チャンスを与えられていたからこそ、踏ん張ることができた。

自分を出せる場所があったからこそ、夢を語る勇気が持てた。

私たちは「成功者を育てる」つもりはありません。

目指すのは、「幸せだった」と思える人生を送れる人。

そして、「自分、けっこういい奴だって人に言われたな」と笑えるような人を増やすことです。

夢を抱き、素直に学び、諦めずに挑戦し続ける。

そんないい奴の人生は、きっと誰かの心を照らし,次のいい奴を作っていくのだと思います。